「気」って怪しいですよねー。だって、「これです!」ってハッキリ言えないし、電磁波が出てるとか、いろいろな説があるし。
ただ、見えないから無い、とは言えないってくらいですかねー。
中国では、すでにその存在は証明されたものとされていますし、医学部に気を扱う学科もあります。気の概念が無いと、漢方薬は成立しないのです。
気を生命エネルギーだと言う人もいます。生きものにだけあるもの、という考え方です。人間や動物・植物にはあるけど、机やエアコンには無い、ということです。
私はすべてのものに気が宿っていると考える派です。気が、それをその形状もしくはその性質に保っていると考えています。私の文系頭で理解出来る範囲でですが、最先端と言われる物理学の中には、それこそが「気」の正体なんじゃないかなと思えるものがあります。私が生きている間のいつの日か、それが明らかにならないかなぁと楽しみにしています。
さて、私たちの身体においての気の働きをイメージで説明してみます。生命エネルギーとか物理学とかは、いったん忘れてください。
池や湖の水を想像してみます。水の入って来る部分と出て行く部分もありますが、滝とかでないと、水面は静かです。そこへ風が水面を逆なですると、さざ波が立ち、水面が揺らぎ、水が動き出します。気はその風の役目をしていると考えます。身体中全てを渡り、体液や細胞の代謝が滞らないように巡って、動くことをうながしているイメージです。ですので、気自体も止まらないよう、絶えず巡らせておく必要があるのです。
何も変わっていない「いつも通り」は、絶え間ない変化(壊して、同じものを作成)の結果として成り立っているのです。以前、「不通即痛、通即不痛」と書きましたが、気が通らず、滞ったところが痛み、病むのは、変化が起きなくなるからということなんですね。
気は放っておいても、勝手に巡ります。健康体であれば。
しかし、加齢や運動不足、ストレス、ケガや病気など、気が通りにくい状態の時には、気が動き出す手助けをしてあげる必要があるのだと思います。